災禍を照らす朝日


その場は暗雲に覆われていた。
風が猛り狂い、氷のつぶてのような雨が降り注ぐ。
その嵐のさなかに時折光る、毒々しいまでの雷光の中に姿を見せるのは、神だ。
それはこの吹き荒れる嵐の中を優雅に舞う。
まるで自分にはこの嵐は関係ないとでも言うかのように。

なるほど、これじゃあ昼だろうが夜だろうが関係なかったな。

神の目の前に相対する一人の男は不敵に笑った。
極度の怒りと緊張状態にあって興奮していた身体も、業を思い出したのか、狩り場についてからは至極落ち着いていた。

神が、己が領域を侵せしものに対し、怒りを見せた。

 
――愚か者め、身の程知らずが。

――出ていけ、出ていけ、今すぐに。


神の呪詛がこだまする。
その裁きを受け止めんとする者は己が得物を構え、神に立ち向かっていった。









解せぬ。


バキリと嫌な音がまた聞こえた。続いて体を裂かれる感触が再び襲いかかってくる。


何故にこの小さき者は、是程にも強いのだ。

おかしい、何かがおかしい。

我がこの小さき者に弄ばれてるなど、断じて認めぬ。

今まで我が領域を冒そうとした愚か者には悉く鉄槌を与えてやった。

大きな者が何度も我に立ち向かってきた。

そのたびにこの空から打ち落としてやった。

昨日もあの大きな者が我に立ち向かってきたが、結局バラバラになって、下に落ちていった。あれですら、我の羽衣にさえ傷一つつけることすらあたわなかったのに。

何故だ、何故この小さき者は我が身を痛めつけることが出来るのだ。


その者が持つ不思議な筒から、また何かが高速で放たれる。
流石の神もそれを避けきることは出来ず、嵐の中にまた紅い花が咲いた。
その爆風に耐えられなかったのか、神の角の一部がバリバリと凄まじい音をたてて折れた。
初めて味わう苦痛に、神は全身を震わせて身悶えた。


痛い、痛い……!

何故我を害する、何故我を屠ろうとする……!


 ――「痛いかい、神様」


その小さき者はそのとき初めて神に語りかけた。
至極、落ち着いている声だった。

 
 「だがな、俺らが受けた痛みはこんなもんじゃないんだ」


俺らが受けた痛み、だと……?

我が何をしたというのだ。貴様が勝手に我の領域に踏み込んできただけではないか。


「お前がわざと人間の村を破壊して回っている訳でないことは知っている。だが、お前の存在自体が俺らにとって破壊そのものなんだ。なぁ神様、あんたは覚えてないどころか知らないかも知れないが、俺はあんたによって破壊された村の、唯一の生き残りだ。俺が出張してるときに押し掛けてくるなんざ、良い度胸してやがる」

彼はそこまで言って、額から流れ出た血を拭った。
神に相対するにあたって勿論彼も無傷ではなかった。
防具もところどころ傷つき、肌が露出してしまった片腕は真っ赤に染まっている。
神は痛ましそうに、そっと眼を細めた。

成る程、仇討ちという訳か。それが貴様を突き動かす原動力か。


「なぁ神様。俺はあんた個人に恨みはないさ。でもな、また人間の村が襲われそうだって聞いたら居ても立ってもいられなくなってよ、お前が打ち落としたあの船に乗り込んだんだ。……皮肉なことに、また俺だけが生き残っちまったな。俺はハンターだから、お前をどうしてやることも出来ない。俺に出来るのは、狩猟だけなんだ。ここがお前の墓場になるか、俺の墓場になるか、まだ分からないがね。でも俺は、負ける気はねえよ」


返事とばかりに神が吼えた。その眼は怒りに赤く燃えている。


この不届き者が。ならば望み通り、消し炭にしてくれよう。


神の風の刃が幾度となく彼に襲いかかる。
一度それで倒れ込んでも、彼は何度でも起き上がりその砲を神に差し向ける。
その砲から放たれる弾は神の身体を切り裂き、焦がしていく。
それは雨の中でも癒されることなく、不快な感触となってこびりつく。
また神が痛みに悲鳴をあげると、ハンターが話しかけてきた。

 
 「なぁ神様。あんたは太陽を拝んだことがあるかい?」


我が知らぬと申すとでも思ったか。


 「人間はな、お天道さまから離れては生きていけないのよ。お前は、それを遮っちまう。これだけ火属性が効くところをみると、お前はあれがどれ程暖かいものか知らないんだろうな」


うるさい、うるさい。


何と小賢しい生き物なのだ。

それを知ったからどうなるというのだ。

それを知ったところで、我を取り巻くこの嵐が消えるとでも思うのか。

自我が目覚めてから千年もの間、この嵐の中を漂うことしか出来なかった我を何故愚弄する。どうして惨めな思いにさせるのだ。


 「孤独だったのかい、神様」

 

―――黙れ!

 

神の放った水の刃は、油断していた彼に直撃した。
転がっていった彼を見てもう動くまいだろうと思ったのに、彼は辛うじて起き上がり何かを口にした。
その途端彼の身体は攻撃を食らう前よりも生き生きとしてくるのだ。何度忌々しく思ったことか。

 
 「お前の眼を見てるとな、何か哀しくなるんだ。胸の内がぽっかり開いて、寂しくなるんだ」


いい加減に黙れと言っているのだ、首から上を吹き飛ばされたいか!


お前に我の何が分かる!

千年もの長い間、我の中に蓄積された孤独と空虚などお前には分かるまい!

分かるまい、青空に抱かれるように飛ぶ者を我がどれ程羨望していたか

自分を待つ者の元へ帰る者と、それを受け入れる者にどれ程嫉妬したことか

子を授かり育てる喜びとはいかなるものか、そのぬくもりとは何ぞやと何度想像しようとしたことか―――

出会いと別れ、生きる喜びも悲しみも辛さもその意義も、全てを体現している生き物に比べ、どれほど恋しいと思ってもこの力のせいで誰にも寄り添うことが出来ず、ただ独り空を漂うことしか出来ない我の哀しみなど、分かるまい、分かるまい!


再び神の眼が赤く染まった。
その叫び声は、まるでこの世の全てを呪っているかのようだった。
彼の叫び声に呼応するかの如く、嵐が強まってくる。
それでもハンターは臆することなくそれに立ち向かっていった。

両者の闘いは最終局面を迎えていた。









もはや満足に飛べなくなっている神は、もうすぐこの闘いが終わるだろうことを悟った。
身体の至る所が焦げ付き、羽衣は見る陰もなくぼろぼろになっている。角も爪も折れ、もはや神々しかった威厳も消えかけていた。
嵐は相変わらず強かったが、神の纏う風は弱まっていた。
相対するハンターも無論無事ではない。
彼の足取りも危ういものになっていたが、それでも彼は最後の気力を振り絞って、その武器を神へと差し向けた。

彼の最後の反逆は見事に神を捕らえた。

盛大な爆風に吹き飛ばされた神は哀れな悲鳴を上げて何度かもがいた後、どさりと崩れ落ちた。

全てが終わった、その瞬間だった。

ハンターもそれを見ると武器を納め、神の方に歩み寄ってきた。


来るな……、お前の顔などもう二度と見たくもない!


しかしハンターは神の羽衣を愛おしそうに撫でると、こう言ったのだ。

 
 「見ろよ神様、お天道さまが出てきたぜ」


あたりを覆っていた暗雲はいつのまにか去り、霊峰から見ゆるは清々しいまでの透明な青空と雲海だった。

そして、それと両者を照らすは、神々しい朝日だった。

 
 「お前にも、これを見せたかったな……」


優しい風になびく神の純白の衣は青空に溶け込み、彼の折れてしまった角も朝日の光を受けて金色に輝いていた。
この世のものとは思えない程美しい光景に、ハンターも思わずため息をついた。

そして、それが彼の限界だった。

 
 「流石に回復薬が切れちまったら、……もうだめだな」


ぽたりぽたりと、神の羽衣に紅い点が散った。
それから間もなくして彼は神の顔の前でどさりと膝を突いた。
そしてその顔を微笑みながら撫でると、最期にこうつぶやいた。

 
 「もう、一人じゃないからな……」


彼はそのまま神の顔に己が顔を寄せるようにして倒れ込んだ。
使命を果たした彼は満足げに笑っていたが、それからもう動くことはなかった。





 ―――これだから愚か者は嫌なのだ。我が死んだとばかり思って勝手に話しかけてきおって……だが、我もすぐにその後を追うのだろうな。


神は己が頬にある感触を確かめながら、内心つぶやいた。


見えぬ。

もう何も見ることが出来ぬ。


それでいて、神は内心くすりと微笑まずにはいられなかった。


我が瞼裏をきらきらと射すもの。
全身を包む、暖かい光の線。
そよそよと身体を撫でる、柔らかい風。

もう視ることは出来ないけれども、彼の脳裏にはハッキリと青空が映っていた。
たった一度だけ、彼の人生のほんの一瞬だったけれども
出来ることなら再びあの中を自由に飛びたいと渇望していたその空が、こんなにも近くにある―――。

そして、彼の顔を包むようにある、太陽の光よりも暖かいもの。

全身をけだるさと安堵が包んでいく。



 

嗚呼、これが、死か。

ならばそれも、悪くはない。




ふと脳裏に映る青空の中に、一筋の白い風が吹き抜けていった。
そのとき初めて、神は笑ったのかも知れぬ。


わらわは……。


その眼から一筋の涙が伝ったとき、彼女は己が呪われた生から全てを解き放たれた。

 

 

これは、アマツマガツチに挑んで戻らなかった一人の男と、神の遠い昔の物語ーーーーー

 

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