〜Memories〜 17

 ふと、目が覚めた。
もう痛みはないはずなのに彼は顔をしかめた。
いや、正確にはそんな気持ちになったのだ。今の彼に、肉体はないのだから。
下方を見下ろすと彼の主らが彼の新しい身体を調正している。彼ほどのモンスターになると新しい身体の調整が難しいらしく、死んでからすぐにまた戦場へと送りだされることはない。
彼はもう何度目になるか分からない転生に内心溜息をつき、例の場所へと向かう。
 
 『おや、お前も来たのかい』

今日はその場所に先客がいた。先客といえどもそこは彼の特等席で、その隣が自分の特等席みたいなものだった。

 『ご覧よ。美しい私の身体が出来あがってるよ』

彼が指さす方向には、その雄々しい角が黒く光り輝く身体が横たわっている。彼の魂が入れば、それは百災の長となって人間界へ降り注ぐ。
相手は楽しそうにくつくつと笑った。思えば彼も自分と同じくらい転生を繰り返し、この地獄ともとれる生業に身を任せているのに、決して弱音を吐いたり己が運命を呪ってもなかった。むしろ、本当にそれを楽しんでいるかのような振る舞いは、正直羨ましいものがあった。

 『先程までは月夜花もいたんだけどねぇ……なんだい、疲れているのかい』

彼はくつくつと笑いながらジョークを飛ばす。身体がないから疲れるはずもないのだ。だが、何となく気持ちが重い。

 『正直、お前のその貫禄が羨ましいよ……バフォメット』

 『貫禄?何の事だかね。ただ、今日は機嫌が良いのさ』

 『何だ、何かあったのか』

確かに、今日のバフォメットの声は少し弾んでいる気がする。彼はまた楽しそうに鼻を鳴らすと、

 『最近どうもエインフェリアを狩るのも単調になっててね。刺激が欲しくてちょっとしたゲームをしたんだよ。そしたら、生餌に食いついた活きの良い獲物が引っ掛かってね。面白いドラマが見れたのさ』

何となく背筋が寒い想いがした。こいつはいつだってそうなのだ。
残虐にして非道、奸計を謀らせれば出来あがったのは地獄絵図、なんていうのも珍しくない。今日もまた、こいつの所為で何人かエインフェリアが悲惨な悲鳴を上げたことだろう。それはいつものことであり、こいつの日常だった。昔はその知略に何度も舌を巻かされたものだが、とうの昔に慣れて最近はあまり関心も示さなかったというのに……まだうすら寒い想いが消えないのはどうしてだろう。

 『生餌と、喰いついた獲物を逃がそうとして、ひと際大きな魚が頑張って網を破ったのだよ。己の命を代償にしてね』

 『負けたのか、バフォメット』

彼の厭味にもバフォメットは楽しそうに笑う。

 『大抵のエインフェリアは私を見て怖気付き、絶望し、果てには己を捨てる。だが、あの子は違ったねぇ。……良いクルセイダーだったよ』

クルセイダー、か。かの一件からエインフェリアの命を積極的に奪えなくなっている彼は、やや暗い顔を落した。

 『お前も知っていると思うよ』

不意に、彼は顔を上げた。心の奥がざわざわする。
相変わらずバフォメットは悪魔の笑みを浮かべながら、調整されている自分の身体を見ていた。

 『あの大きな魚は、LuCeのマスターだったよ』

後ろからがぁんと頭を殴られた様な衝撃に、彼はたじろいだ。
思わず目を見張ったのにバフォメットは気付いたのか、

 『ふふふ、驚いてくれたかい。臨時ボーナスが出ても良いんじゃないかな』

取った獲物はその魚一匹。だが、大きな大きな魚だった。

 『これでLuCeは事実上の解体。奴らの結束の源は全て彼女だからねぇ。戦力も大幅ダウンは、免れないだろうね』

そこでバフォメットは未だに眼を見開いている隣の人に、

 『どうしたい、そんなにびっくりしたのかい?』

 『あぁ、いや』

彼も姿勢を正した。呼吸が乱れていないか気を配り、必死に平静を装う。

 『私でさえ敵わなかったのだからな、LuCeには』

 『そういやあそこのマスターはお前さんをやりにきたこともあったんだっけね』

ククク、と彼は笑うとあるものを差し出した。

 『土産と言っちゃなんだがこれが手に入ってね』

彼がそれを受け取ると、それはクルセイダーに支給されるロザリオだった。一部は欠損していて、乾いた血も付いていた。

 『イタチの最期っ屁って奴なのかねぇ……首を撥ねるときに飛んできたよ。そこについている血は私のかあの子のなのか、ちょっと分からないね』

彼はなるべく自分を抑えて、努めて無表情でいようとした。彼がそのロザリオを見つめていると、バフォメットの身体の調整が終わったらしい。バフォメットも腰を上げて、

 『お前には、どうやら悪いことをしたみたいだね。形見と言っちゃあなんだが、大事にしてやっておくれよ』

そう言うと彼の方を見向きもせずに持ち場に戻って行った。 ……相変わらずな奴だ。これだから困るんだ。
彼はぎゅっとロザリオを握りしめて、まるで黙祷するかのように眼をつむった。切なげな表情の彼の眼からは、しかし決して涙が出てくることはなかった。



 





 『あの時に感じたものをどう表せば良いのか未だに分からない。悲哀と空虚が一気に押し寄せてきた様なあの感覚は、今でも忘れられない』

 「DOP……」

 『フッ、私はあのときから既に狂い始めていたのかもしれない。昔は只の殺戮玩具だった私が人の感情を理解し、持ち始めているんだ。君主達にとっては邪魔者になるだろう……。近いうち、私は”廃棄”されるかもしれない』

 「そんな……!」

 『だが、良いんだ』

その時ティアは彼とばっちり眼が合ってしまった。

彼は、笑っている。

紅の瞳に宿るは、清々しいまでの光。

 『私は私として生きた―――。それだけで満足だ。こいつらに囲まれて、思えばしあわせだったのかもな。……それに、またお前と逢うことができた』



 「入り口から11時の方向! DOP発見!」

その時後方から鋭い声が響いた。ティアも思わずびくりと身体を震わせる。

 『……チッ。討伐隊の奴ら、もう来たのか』

 「え……!」

 「DOPがアコさんを襲ってる!?ペコ部隊急いでーーー!」

後方からどどど、と足音が聞こえてくる。DOPは素早く抜刀するとティアの前に立った。

 『ティア。そこの茂みに隠れていろ。じきにパーティがきてくれるだろう』

 「あなたは……?」

DOPの行く末を案じティアが声をかけると、彼は穏やかに微笑んだ。不安そうなティアを宥めているところをみると、案外面倒見が良いのかもしれない。

 『討伐隊を迎え撃つ。……そんな顔をするな。機会があれば、また逢おう』


 −己が生き様を教えてくれた、只一人のエインフェリアよ−


 「DOPー……ッ!」

 『こい、我が下僕……!』

DOPは複数のナイトメアを引きつれ、戦いのさなかに消えていった。
ティアは彼の背を見届けて間もなく、意識が薄れていくのを感じた。


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