〜Memories〜 10
案内要員の話によれば、ここからプロンテラまでは結構な距離があり、しかも砂漠を越えていかなければならないだろうとのことだった。
この世界でエインフェリアを支える『カプラ』と呼ばれる人々はワープを応用した転送術で特定の街から街へと転送してくれるが、それにはある程度のお金がかかり、転送代すら現金を持っていなかった二人は徒歩を余儀なくされた。フェイに至っては剣と頭装備のゴーグル以外何も持ってなかったのだ。ますます彼について疑問は深まるばかりだが、能天気なティアはさほど気にしていないようだ。
数日かけてフェイヨンの北の森を抜けると、砂漠が広がっているのが見えてきた。
案内要員に貰った地図でこの場所に出現するモンスターなどを確認しながら、気を緩めずに進んでいく。その間にもフェイに手伝って貰って、ティアのレベルは大分あがった。
フェイは弱いモンスターなら一撃で沈められるほどの実力の持ち主らしく、これはティアだけでなく本人も自分の力に戸惑っている節があった。もしかしたら、割と高名な騎士だったのかも知れぬ。それならばプロンテラに行けば有力な情報も得られるだろうと、二人は希望的観測を見出した。
それから更に北西へ進みプロンテラも近くなった頃、二人はとある分かれ道に差し掛かった。
「ねぇ、こっちに看板が立ててあるよ。こっちにいけば良いのかな?」
看板は既に文字が消えかかっており、何が書いてあるか判別することはもう不可能だった。フェイは何故かその看板が気にかかるようでやや躊躇いを見せていたが、ティアの行動力の前には無力だった。
実はこの看板、道案内の類ではないらしい。文字が消えかかる前には、
『この先人食い狼出没注意!』
と書かれていた代物だった……。
能天気なティアはそんなこと知る由もない。フェイは何だか時折落ち着かないような顔色を見せるが、彼女は気づかない。
やがて二人がとあるオアシスで休憩しているときだった。
フェイが突然顔色を変えて立ち上がった。
「フェイ……?」
流石のティアも不安になり彼の側に向かおうとしたその時、彼女の後ろから物音がした。それを聞いた途端フェイは剣を抜き、彼女をやや強引に突き飛ばした。
「えっ――!?」
ティアは彼の意図が分からず、一瞬非難の目を彼に向けたが……本当に一瞬で終わった。
今彼の目の前に対峙しているのは見るからに四肢の強靭そうな茶色の大きな狼だった。彼らはしばらく睨みあっていたが、先に狼が手を出した。フェイはそれをあっさりと避けると狼の後ろを取り―――
ガアアァァァアアァァッ―
彼の一撃は狼の背に強かに当たった。
狼はかなりの深手を負いながらも反撃に出たがまた躱され、止めとしてフェイがその首に剣を突き立てた。狼は断末魔の悲鳴をあげることなくしばらく痙攣していたが、やがてそのまま地にどうと倒れた。
「フェイ!」
安心してティアが彼に寄ろうとするのを彼は眼で制した。
次の瞬間、四方から先ほどの狼の仲間らしき群れが姿を現した。
その数、ゆうに5匹!
なるほど、先ほどのは小手調べといったところか……。なんて剣客として気障な台詞でも欲しいところだが、生憎今の彼は喋ることが出来ない。
狼たちは咆哮を上げると一斉に彼に向かって飛び掛ってきた。
しかしフェイは狼たちの攻撃をものともせず、一匹一匹を確実に捌いていく。
「あっ!」
一匹の鋭い爪が彼の頬に当たり、血が弧を描いて散っていく。
フェイは一瞬仰け反ったものの、すぐに体勢を立て直して狼の首に刃を突き立てた。
残りの狼はついに一匹となり、それは勝機なしとみるや退避の体勢に入った。フェイも刃を下ろしてそれを理解したようだった。狼は尻尾を巻いて逃げるか――と思いきや、
「きゃあああああああ!」
イタチの最後っ屁とでも言わんばかりに、そいつはティアに向かって鋭い爪を振り上げたのだ!
流石にこれは間に合わない、と彼女は眼を瞑った。
―――クオオンッ
だが、斃れたのは狼だった。
その背にはフェイが投げたのだろうナイフが刺さっており、それは的確に弱点を貫いていた。
死んだ狼たちから球状の光――オーブが浮かび上がる。魂がまた召喚主の元へ還るのだ。
幾つものオーブはしばらくその場に漂っていたが、やがて光の粒となって消えていった……。
その中心に泰然と佇むフェイ。
眩しい光の中、彼を見たとき何故かティアは彼であって、彼でないものを感じていた。
オーブに囲まれるその姿は、まさに戦場の―――
「!」
しばらくどこか彼方を見ていた彼も、ティアの姿を認め慌てて駆け寄ってきた。腰を抜かしてふらふらな彼女を何とか宥め、行こう、とその手を取って歩き出した。
さいわいあの狼に二度と遭うことはなかった。
二人はまた小さなオアシスに辿り着き、そこで一息つくことにした。
「痛くないの……?」
ティアは持っていた布を水でぬらすと傷口を拭った。
彼の幼い、愛らしくさえ見える顔の目の下に、狼が残していった忌々しい爪痕が二本くっきりとカーブを描いて残っている。かなり深い傷痕らしく、いまだに血が滴っている。その深紅色が幼い彼の顔と対照的で、ぞっとするような美しささえ感じられる。
フェイはにっと笑って”大丈夫”をアピールした。
「凄いんだね。やっぱりフェイは強いんだ」
フェイは彼女から布を受け取り、彼女の顔を拭いた。
「わっ!」
どうやら突き飛ばされたときに擦りむいてしまったらしい。致し方なかったことだろうが、やはり彼としては良心の呵責に苛まれていたのだろう。
フェイの傷は持っていた応急処置具でなんとか済ませたが、剣士たちは回復力に優れている。安静にしていれば短時間で傷は塞がるだろう。
「助けれくれて……ありがとね」
ふいにティアの目から涙が零れた。
「あ……あれ、ごめんね、なんだか……安心しちゃって」
フェイは穏やかに微笑んで、彼女の頭を軽く撫でた。安心すると同時にこの前と逆の立場になってしまったことに対し、彼女は軽く自分の不甲斐なさを責めていた。
最初は頼りないものと見ていたフェイは、腐っても一介の騎士だった。
自分はどうすれば良いのだろう。まさかいつまでもこのまま彼のおもりでいるわけにもいくまい。
”―――私も、誰かを援ける存在になりたい”
このとき、初めて彼女に目標が出来た。
”フェイとは違うけど、沢山の人を護れる存在に―――”
「ねぇ、フェイ」
彼女は顔を上げてフェイを見上げた。決意が篭った瞳を彼は不思議そうに見返す。
「私、プリさんになろうと思う。プリさんになって沢山の人を助けたい。そして、キミの記憶が戻るまでしばらく一緒にいよう?私にも、手伝えることがあると思うから―――」
フェイは無邪気ににぱっと笑ってティアに飛びついた。幼いのはどうやら顔だけじゃ済まないのかも知れない。
しかしこのとき二人は、確かに幸せそうに笑っていた。