白亜 2


その場所を一言で言い表すなら、神秘という他ない。
暗雲とその雲間から指す荘厳な光に彩られたその場所は、彼が一等好きな狩場だった。
死ぬならここで、と何度思ったことだろう。
ハンターなら誰しも狩り場で死ねれば本望、と思ったことが一度はあることだろう。彼にとっての場所は、まさにここだった。
しかし彼は今狩りをしにきたわけではない。第一、片腕しかないその状況では狩りをしにきたと言われても、お前正気かとしか言われないだろう。
必死に縋りつくオトモをひっぺがし、けっとばしてまでここにきたのはただ一つ。彼は死に場所を求めにきていたのだ。
もはや護るものもなく、この先に希望も見えない。人類はもしかしたらウカムに蹂躙されてしまうのかも知れないと思うと、絶望と罪悪感で立っているのさえ辛く感じられた。
自分だけ楽になるのはなんと怠惰なことか。だが、死ねばそれもどうでも良くなる。
以前の彼では考えられないような陰鬱とした気持ちがふっと湧き出たとき、彼は見るからにニヒルそうな笑みを浮かべていた。
と、己をせせら笑って間もなく、彼の神経がピンと張りつめた。

 「大型の……飛竜?」

一瞬だけだが、確かに大型の飛竜のような気配を感じたのだ。彼は今防具を着用していない。モンスターを感知するようなスキルがないにも関わらずその気配を感じ取れたのは、長年培ったハンターの勘か、それとも……。
だが塔にモンスターがいること自体は不自然ではない。彼も以前ここでナナ・テスカトリやヤマツカミといった強大なモンスター達と闘ったことがある。
彼らの肥やしになるのも、それもまた一興かも知れない。何はともあれ、そのモンスターをこの目で確認してみたい。
職業病も相まって、彼はもう世捨て人のような感覚で一歩を踏み出した。









雷光虫が飛び交う神秘的な遺跡を抜け、彼は更に塔の上部へと登り詰める。しかし不思議に思ったのが、いつもならちらほらと見かけるギアノスなどの小型モンスターがいないことだ。入り口付近で見かけたガブラスなどのモンスターも、こちらに目もくれず遠ざかっていった。恐らく古龍などの珍しいモンスターが来ているのだろう。彼はもう自分が死に場所を求めにきたのも忘れ、そのモンスター見たさに塔を登っていった。



塔の最上部は祭典を行う広場だったのだろうか。その場所は円いコロシアムのような開けた場所になっており、眼下には雲海が広がっていた。それほど高くはないと思われるこの場所は、何故か常に暗雲に覆われていた。
彼も数時間をかけてこの場所に辿り着いたが、結局あれからモンスターの気配を感じることはなく、いざ挑まんと来てみたこの最上部ももぬけの殻であった。
もしかしたら登ってる最中に移動しちゃったのかな。
何だか切ない気持ちになると同時に、目の前に広がる雲海が彼に当初の目的を思い出させた。
ああ、そうだ、俺は死に来たんだっけ。
この最上部の遺跡は端に柵がなく、安易に飛び降りることが出来る。
一つうまく行かないことがあると何でもうまく行かないように思えるのな。さっさと楽になった方が良いや。
こんな神秘的なところで死ねるなら本望と、彼が雲海に向かって足を進めようとした、その時―――


 「ねぇ、どこから来たの?」


不意に、後ろから声がした。
そんな馬鹿な、ここに来たときは自分以外誰もいなかったはずなのに―――!
彼が振り向くと、そこには真っ白なワンピースを着た、真っ白な髪の女の子がいた。年は、十に満たないくらいだろうか。
時折銀色にたなびく背まで伸びたまっすぐな髪と、透けるように白い肌に映えるは、対照的なまでに深い紅色の瞳。
血の色をしたその宝玉を見て、彼はとっさにあの出来事を思い出した。


目の前で次々と倒れ込む仲間達。
最後まで護ろうとして、出来なかった最愛のあの人。
意識が飛ぶ直前に見えたのは、ウカムと、その足下に横たわる仲間と―――雪の上に散る、紅く咲いた花のような、血。


彼がおし黙ったままでいると、幼女は彼の方に歩み寄ってきて、彼の袖を引っ張った。

 「ねぇねぇ、どこからきたの?……おじさん、腕がないの?」

何となく不安そうな顔をした幼女の頭を微笑いながら撫でてやった。とても人とは思えないような、ふわふわの撫で心地だった。

 「……モンスターにやられてね。君こそどこからきたんだい?ここは危ないよ。おうちに帰りなさい。モンスターがきたら、おじさんのようになっちゃうかもよ?」

彼は幼女を諭すように、ちょっと脅すような感じで語りかけたが、少女は鈴の音のような声でころころと笑うと、

 「大丈夫だもん!お父さんとお母さんもすぐ側にいるし、ここにいたモンスターもみんなやっつけてくれたんだ」


と、ぴょんぴょんと跳ねた。
嗚呼、なるほどな。と彼は思った。
夫婦で狩りに来ているのかも知れない。まだ年端もいかぬような子供を連れてきているのは良く思わないが、身の安全が保障されてるのならまぁ良いだろう。

 「ねぇ、遊んで?」

幼女が再び彼の袖を引っ張った。両親が狩りに行っている間一人で暇なのだろう。ささくれだった彼の心をひと撫でで滑らかにしてしまうようなその調子に、思わず彼も笑って頷いた。
幼女はきゃっきゃと笑うと鬼さんこちら、と言って駆けだしていった。いきなり体力のいる遊びだこと、と彼は半分呆れ笑いながらも幼女のあとをついてった。









 「つーかまーえたっ!今度はおじさんが鬼ね!」

 「しょうがないなぁ」

彼がうおーっと片手を振りかぶると、幼女はきゃーっと黄色い声を出して逃げていく。楽しんで貰えてるのは嬉しいが、いつまで続くんだろうと思った、その矢先だった。

 「きゃっ」

勢い余ったのだろう、幼女がこてんと転んでしまった。
転んだ、というよりは正面からズサーっといってしまった感じだったが。

 「おやおや。大丈夫かい?」

これは泣き出してしまうかなぁと彼も思ったが、起きあがった幼女は不思議そうな顔をしてケロリとしていた。
だがその額の一カ所に血がにじんでいる。すりむいてしまったのだろう。

 「怪我しちゃったじゃないか。じっとしといで」

そう言って彼はポーチから絆創膏と薬草を取り出す。薬草をすりつぶして絆創膏ににじませると、ぺとりと幼女の傷口に貼った。冷たい感触に幼女はひゃっと飛び上がり、それが終わると何事もなかったかのようにはしゃぎだした。無邪気なものである。

と、急に辺りに低い音が響きわたった。

 「……おなか、空いたのかい」

幼女のおなかが鳴った音だった。彼女はえへへーと笑うと、お昼食べてないんだもんと言った。
そういえば早朝からこの塔を登ってきて、ここにきたのが昼前だったからもうとうに昼は過ぎているだろう。彼も幼女も遊びに興じすぎて空腹を忘れていたのだ。
彼はまたポーチからごそごそとあるものを取り出して幼女に渡した。

 「そろそろ、休憩しよう」

幼女は彼から渡されたクッキーやら飴やらを抱えて喜んで端っこの方へ駆けていった。こらこら危ないぞ、と彼が注意すると、おじちゃんありがとう!との声が聞こえた。



わずかな休憩の後に幼女はまた遊んでくれとハンターにせがんだ。
若さとは良いものだ。疲れ知らずだな。実はこっそり強走薬でも飲んでるんじゃねぇのかと思いつつ彼も笑いながらそれに付き合っていた。嬉しそうにクッキーを頬張る彼女を見ていたら、すっかり当初の目的を忘れてしまっていたのだ。

 「だーるーまーさーんが、こーろん……おじちゃん動いたでしょー!」

 「動いてないよー」

 「嘘だぁ」

 「ほんとだぁ」

幼女はむぅ、と唸るともう一度壁に頭をつけた。
彼は幼女が壁の方を向いているときにじわじわと距離を詰めていく。後ろからわきの下をくすぐったらどんな反応をするかな、なんてやましいことを考えていると、まるでそれをたしなめるかのように後方でピシャリと雷の音がした。幼女がハッと振り返り、おやと思わずハンターも振り向いた。見れば、雲海の方を眺める幼女の顔つきは神妙そのものだった。
すると、また空の遙か向こうで稲妻が地へと突き刺さるように走っていった。しかしそれの妙なことはその暗雲の中でもハッキリと見て取れるほど、鮮やかな紅色だったことだ。何だか珍しい色の雷に、思わず彼の足が雲海の方へと赴いた。職業柄というか、本能的に悟っていたのかも知れない。
雨……、いや、まさかモンスターか……!?
と、今度は立て続けに三本の紅い矢が地へと放たれていった。思わず身構えた彼の背に、幼女の鈴の音ような声がふわりと降ってきた。

 「お母さんが、呼んでるの」

思わず彼が振り向くよりも早く、彼の頬にふさふさとした何かが触れた。

 ”おじちゃん、いっぱいありがとうね”

再び幼女の声が彼の中に舞い降りてきた。それはもはや聴覚を超越した、己の身体全体が受容器になって彼女の声を受け止めている、そんな感覚だった。
今度こそ彼が振り向くと、そこにもう幼女の姿はなかった。


そこにいたのは全身が白鱗に覆われ、雪のように白くふわふわとしたたてがみと純白の翼を持った一匹の龍だった。背丈は、彼よりやや大きいくらいだろうか。華奢な肢体と長い尾を持つその龍の名を、彼も聞いたことがある。

 「ミラ……ルーツ……!」

全ての竜の祖とされる、生きた化石。伝説の中だけに存在すると思っていた。まさか、本当にいるなんて……!
こいつにやられるのなら、本当に死んでも良い。
彼が思わずその顔に手を伸ばそうとすると、それの瞳とばっちり眼が合う。今まで見たどんな宝玉よりも美しい、麗しい輝きを放つ紅い珠だった。
それはもう一度彼の方に頭を寄せた。
左目の上に、小さな絆創膏が貼られていた。彼はハッと息を呑み、恐る恐る反対側の頭を撫でてやる。すると彼女は嬉しそうに眼を細めた。喉元から心地良さそうな、ころころとした音色が聞こえてきた。
やがて彼女は顔を上げると最後にまた彼を見て、こう言った。

 ”また、遊んでね”

彼が何か言うよりも早く、彼女はその背の翼をはためかせて空へと舞い上がった。そして、滑るように暗雲の中に潜り込みあっと言う間に見えなくなってしまった。

その場にぽつんと残されたハンターに、雲の切れ間から光が射し込んできた。
今のは、果たして夢だったのだろうか。
あまりに現実逃避しすぎて、白昼夢でも見ていたのではないだろうか。
ふと、足下にキラリと光るものがあった。彼がかがんでそれを取ってみると、小さな真珠色の鱗のかけらだった。差し込んできた陽の光を受けて、きらきらと七色に輝いていた。
彼が自分の手のひらよりも小さいそのかけらを眺めていた、その時だった。

 「や、やっぱり旦那さんがいたニャ〜〜〜!!!」

哀愁極まる絶叫が聞こえてきたかと思うと、彼の尻にどかんと重たい衝撃が走った。
うおっと体制を崩した彼がそれを見やると、見慣れた青銀色の虎模様の毛玉がしがみついていた。

 「タマ!お前、なんで……」

 「旦那さんはいつも言ってたニャ、ハンターとして死ぬなら狩り場で死にたいって。旦那さんはここが一番好きだから、きっとここにいると思ったのニャ〜」

と、タマは涙と鼻水でぐしょぐしょになった顔をあげて、

 「ぼ、僕には旦那さんしかいないのニャ……だから、だから僕を置いていかないで欲しいのニャ〜〜〜!旦那さんが死ぬなら僕も一緒に死ぬニャ〜〜〜!!!」

もうなりふり構わず彼にしがみついた。彼はやれやれ、と苦笑した。
モンスターによって壊滅した集落の生き残りなんて、拾ってくるもんじゃないな。

彼は死出の旅の前に散々蹴ってしまったその身体を撫でて、片手でうまい具合によいしょと肩へ担ぎあげた。まだ小さい体だった。

 「それじゃあ、帰ろうか」

 「ハイなのニャ!」

 「疲れただろうから、おやすみ」

と彼がその背を撫でてやるとタマは喉をごろごろと鳴らし、やがて本当に眠ったようだった。
彼も安堵のため息を漏らすと、再びあのかけらを取り出した。

 "また、遊ぼうな"

そして彼女が飛んでいった方角をもう一度眺めると、きびすを返して塔を下りていった。











それから間もなくして、あのウカムルバスが人間の手によって討伐されたことを聞いた。
あの後やはり下の村も被害にあったらしいのだが、その時応戦したハンターが運良く生き残り仇討ちとして再度討伐隊に加わったらしい。
その討伐隊の中には若くして(しかも女性だという!)アカムトルムを単身屠ってきたという人もいたという。生き残りによってもたらされた情報が、彼女らに勝利を導いたらしいのだ。
それを聞いて何度自分の所業を恥じたことか。自分もすぐに下の村に走っていったら、何か役に立てることがあったかも知れないのに。

 「旦那さん、こっちの方角で間違いないのニャ?」

 「あぁ、あの竜巻が去ってったのはこっちの方角だからね」

ならば、自分も再び誰かの役に立てるよう、何か自分が生きた証を残していこう。それが誰の役に立つか、いつ発揮されるかなんて自分にも分からない。ただ、あのとき何も知らずにウカムに立ち向かい刃が立たなかった自分のような人が、もう出ないように。これがせめてもの知恵と勇気につながれば―――。

この報告書をしたためたら、師匠が更にその師匠へと送ってくれるらしい。大師匠も自分の報告書を楽しみに待ってるなんて言うから、自然と気合いが入る。
オトモがインクを付けてくれた羽根ペンを受け取り、肩から紐を付けて固定してある板書を腹に立てて書く。この動作もすっかり板についたものだ。片腕がなくて不便だろうと言われるがそんなことはない。自分の横には、常に片腕となるオトモがいるのだから。
彼はオトモにペンを返し、その頭を撫でてやった。
神経が興ぶるのが分かる。やはり元の職業病は抜けきっていないらしく、生き物の気配を敏感に察知してしまう。
だが自分らは闘いを挑みに来たのではない。飽くまで彼らの生態を掴みに来たのだ。
彼は同業人たちよりも数段有利なその神経を研ぎすませ、目的の場所へと向かう。その胸には、小さな真珠色の鱗が砂漠の暑い日差しを受けて目映いばかりに煌めいていた。


 いつか……また、遊ぼうな


己の歩む道が、きっと彼女につながると信じて―――。





元ハンターで隻腕の古龍観測所の職員が、古龍の研究者として名をあげるのはもう少し先の話―――。

 

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