天狼星  6

「いたぞケルビだ、追え!」

鬼気迫るものを感じたのか、ケルビのつがいは逃げようとしたが時既に遅しだった。
がぁんと頭に重い一撃を食らわされ、体のふらつきを何とか抑えて彼が覚醒したその時に、体全体を重い衝撃が包んだ。
彼は沢の淵までごろごろと転がっていくと、そこで息絶えた。

 「大分狩りうまくなったなぁ、シリウス」

ハンターが彼を誉めると、シリウスは狩ったばっかりのケルビをくわえて、自分よりやや小さいそれをずるずると引きずってきた。ハンターは顔の前で両手をあわせると、それを上手に結わえて背負った。

 「干し肉にして今年の冬を乗り切ろう。本当は雌を狩りたかったんだけどなぁ、逃げちゃったか……」

季節は冬一歩手前の晩秋。
木枯らしが吹く中でハンター一行がやってきたのは渓流である。
今年はケルビが大繁殖したらしく、渓流の木々だけでなく、村の畑の方にまで被害が出ていた。越冬のために用意した食物を荒らされてはかなわんとのことで紅葉祭り以降、ここ数週間ずっと彼はケルビを追っている。
シリウスの狩りの訓練にも丁度良いかも知れないとギルドの許可を得て連れてきたところ、彼は親であるハンターの挙動を見ていつの間にかそれらしきものを覚えていたらしい。3回目に連れてきたときには瀕死のケルビに止めを刺したのだが、それのやり方がまた一風変わったものだった。
彼が見て覚えたのはハンターの挙動。つまり、彼の太刀の扱いである。
シリウスはまるで己の腕や尻尾を太刀に見立てているかのように、それを器用に振り回して獲物を狩っていたのだった。
果たしてこれが正しいものなのかは分からなかったが、独り立ちするにあたって必要なことを覚えていってるのは大変重要なことである。

ハンターがケルビを探す傍ら、シリウスは興味本位で茂みの中にガサガサと入って遊んでいる。その背中にまた雷光虫が止まり、どこかへと見えなくなっていった。
ハンターは見ない振りをした。もうこれで何十匹目だ。

ケルビを追い求めて渓流の奥へと進んでいくうちに、おやとハンターは足を止めた。
先ほどの雌だろうか。岩陰に隠されるようにして、ひっそりとケルビの死骸が佇んでいた。首からはまだ血が流れており、ハンターがそれに触れてみるとまだ暖かかった。

 「どうやら、お客さんがきたみたいだな」

これだけケルビが大繁殖しているのだ。補食者にとってはまさに楽園だろう、流れてこないはずがない。ハンターもそれを想定しての重装備で毎日ここに赴いている。彼の役目は渓流の生態とケルビの被害から村を守るだけでなく、彼らを狙ってやってくる大型のモンスターから村を守ることでもあった。

しかし肝心の補食者の影が見えない。
縄張り争いのためにどこかへ行ったか、それとも競争者がいないからゆっくりしているのかーーー。どうか後者であってくれと彼は祈った。今見つかれば状況が不利すぎるのだ。

 「モミジ、お前は今すぐシリウスと村に帰って、装備を整えてこい。俺はしばらく渓流を回って、奴さんを探してみるよ。道中、くれぐれも気をつけてな」

分かったニャ、とモミジは威勢良く返事をしてシリウスの背に乗っかった。聞き分けの良いシリウスはそのまま一声嘶いて村の方へとまっしぐらに向かっていった。……までは良かったのだが……。


 「だ、旦那さんやっぱりこっちにいたニャ〜〜〜!」

というオトモの叫び声と、モンスターの威嚇声が聞こえるのにそう時間はかからなかった。
ハンターは舌打ちをしてすぐに駆け出す。全く、貧弱なフラグもさっさと回収しやがって。

坂を上り、開けた場所に出ると件の奴はいた。

 「やはりお前か、ナルガクルガ!」

漆黒の剛毛に覆われた飛竜、ナルガクルガだった。彼の足下には今し方狩られたばかりだろうケルビが転がっていた。恐らく、先ほどの場所へ持っていく途中だったのだろう。他の補食者を意識していないその行動は、暗にこの渓流にこれ以上の脅威がきていないことを示している。
彼は胸中ほっとした溜息をつくと、さっさと片付けるぞと太刀を引き抜いた。

 「俺が気を惹くからお前等はとりあえず村に帰れ……って帰れよシリウス!」

予想外なことに、毛を逆立ててこちらを威嚇しているナルガクルガのように、シリウスもまたその純白の毛を逆立てて彼を威嚇していた。ナルガクルガはどうやらハンターよりもそちらが気になるらしい。

と、ナルガが彼に向かって飛びかかってくる。彼は勇敢にもその懐に飛び込んでその攻撃をかわし、くるりと身を翻すと後ろから襲いかかろうとしたが、それに気付いたナルガは器用に尻尾を振り、シリウスを薙ぎ払った。
ぎゃん、という悲鳴を上げてシリウスが転がっていく。

 「ほれみろだから帰れって……頼む帰ってくれ!」

今のでシリウスは怒り心頭に達したらしい。
元々ハンターの防具よりも堅固な外皮を持つ彼らだ。今のナルガの一撃でも彼はかすり傷すら負わなかったらしい。代わりに屈辱を負わされた彼は、まっすぐにナルガに向かって突っ込んでいく。

 「だから角も爪もやすりかけてあるお前じゃ無理だって、お願いだから言うこと聞いてくれーーーーっっ!」

野性に帰った彼に命令などもはや無用だった。
しかしシリウスが気を惹いている間にオトモのモミジが次々と攻撃を仕掛けていく。モミジの刃が顔に当たりナルガが一瞬怯んだその隙に、ハンターも負けじと刃翼へ一太刀を振り下ろした。
太刀の威力に負け、翼刃の一部がばきりと折れる。ナルガは悲鳴を上げ、その隙にシリウスが尻尾を奴に叩きつけようとしたが、それはくるりと身を翻すと赤い二本の残さが尾を引いた。

 「向こうも怒ったぞ、気をつけろよ!」

怒ったナルガの俊敏性は通常時のそれを遙かに上回る。と、いうかあれは本人にもよく制御仕切れてないものがあるとハンターは思っている。
気を惹きつつ、大きな隙以外の時に攻撃を加えることをせずにナルガの攻撃を避けてそのときを待ってると、しばらくしてそれは訪れた。

 「ほらな、怒りに任せて形振り構わず攻撃しているとそうなるんだ」

闇雲に攻撃をしていたナルガのスタミナが先に切れたようだ。
ハァハァと荒い息が離れていても聞こえ、動きが明らかに鈍くなっている。
それでも奴は戦う意志を引っ込めずにこちらに向かってきた。が、いかんせん、奴は今の体の状態も把握できてないようだった。
ナルガはモミジに飛びかかろうとして飛躍したが、モミジはそれを華麗に避け、ナルガは着地した……はずだった。奴は着地したは良いものの足のふんばりが利かず、後方にずざざっと音を立てて滑って行ってしまったのだ。
ハンターはこの好機を見逃さず、体制を立て直す前のそれの目の前で、刃を水平に薙いだ。

ごり、と鈍い音がした。
ナルガが苦痛に顔を歪めて首を振る。
ハンターの太刀は彼の狙い通り、奴の体に平行になるように背中を貫いていた。甲殻と甲殻の継ぎ目の柔らかいところに丁度入ったのだろう。……が。

 「おっとぉ……」

彼も本来、太刀はこういう使い方をしてはいけないのだと思っていた。これは斬るか突くための武器であり、 刺 す の で は な い のだと。
奴の背中に深々と入った太刀は途中の肉の圧力により失速し、最後まで薙払うことが出来ずに突き刺さったままになってしまった。……勿論抜くことも容易ではない。ナルガが協力してくれればまた別の話だけれども。

 「旦那さん!」

ハンターが太刀を抜こうと尽力していると、ナルガが左腕を振りかぶってきた。

 ーーーまずい!

彼がそう思ったときはもう既に遅く、奴はその掌で彼の胸板を掴むとそのまま彼を地へと押し倒した。
ドン、と鈍い衝撃が全身に伝わり、ぐふ、と胸郭の空気が無理矢理と押し出される。
鎧のおかげで体に異常はないが、ナルガの腕が彼を押しつけている為、動くこともままならない。息も満足に吸えないくらいだ。

 (ーーー冗談じゃねぇよ!)

いつの間にか、ナルガの眼は先程に同じくして、赤く燃えている。

 (ーーー補食されてたまるかっつーの!)

 「こやし玉カモン!」

と彼が叫んだとき既にモミジはそれを用意していたが、それよりも早くナルガの鋭い嘴が、断頭台のように彼に向かっていた。


 キャインッ


後少しでハンターが生首になるというところで、ナルガは悲鳴を上げて頭をかぶった。
その後もナルガは悲鳴を上げ続けて体の後ろの方を必死に揺らしている。前足を踏ん張られるため、重圧がかかって返ってハンターにとっては苦しいのだが、彼は何とか前足が浮いた瞬間に体をよじって拘束を抜け出した。

ハンターが後ろに見たのは、シリウスだった。

 「シリウス……!?」

見れば、彼はナルガの尻尾の先端をかじっていた。
あーぁ、敏感なとこだろうに、可哀想に。
角や爪同様、麻酔を使って牙にもやすりをかけていたが、それでも顎の力を考えると鳥肌ものだろう。
ナルガが尻尾を必死に動かそうとするも、シリウスは例の強靱な腕で尻尾自体を押さえつけ、奴が動こうとするのを許さなかった。

見れば、シリウスも怒っていた。
先程ナルガに侮辱されて怒っていたのとはまた違う、もっと強い、もっと静かな怒りだった。

彼は唸り声をあげるとそのまま首を真横に振り、ナルガの尻尾を喰いちぎった。
ナルガが壮絶な悲鳴を上げてとびのいた。
そして再び眼を深紅色に染め、シリウスに向かって呪詛を飛ばすように吼えた。シリウスもまたそれに呼応するかのように奴の血で真っ赤に染まった口吻を天に向け、遠吠えをした。
その瞬間、彼の周りに青色の光が浮かび上がった。彼が体内に集めていた雷光虫だ。ジンオウガの甲殻内で特殊な帯電をした雷光虫は通常と違って青白い発光をするようになるのだ。
ナルガがイタチの最後っ屁といわんばかりに飛びかかってきたときに、シリウスがもう一度遠吠えをした。
と、彼の周りがカッと一瞬青白く光った。
ハンターの生存本能が危険を告げる。あれには苦戦したものだ。体が覚えていたのか、反射的に彼はモミジを抱えて彼から遠ざかった。

シリウスの周りを飛んでいた超帯電状態の雷光虫が次々に放電を開始していく。それはさながら、雷の雨だ。成熟した個体のそれと比べれば、やはり規模は小さいが、手負いのナルガには十分過ぎるほどだった。
元々彼らは火と雷を嫌う。甲殻を覆う剛毛が水を弾きやすいように油脂を含んでいるためだ。
シリウスに飛びかかっていったこの哀れなナルガクルガにも雷の雨が浴びせられ、本体に当たったそれはビリビリと肉を貫き、更に運の悪いことに奴の体内に突き刺さっている巨太刀にも雷が落ちた。
これが致命的だった。
刃に落ちた電撃は瞬く間に全身へと広がり、体内を余すことなく蹂躙した。

シリウスの目の前にナルガはどさりと倒れた。電撃の規模が小さかったためか、まだ息はある。
悲鳴ともいえない悲鳴を上げたためか、口からは血の泡を噴いていた。肉を焼かれた為だろうか、太刀による出血は止まっていた。

勝敗は決まった。

最後の一撃がとても致命的だったし、何よりも、ハンターから加えられたこの巨太刀がまずかった。
それを背負ったその姿はまるで刀を背負った忍者のようだが、その刀が彼のものではないことは、後脚部付近から突き出た切っ先から垂れていた、彼の瞳と同じ色のものからも伺われる。
他にもモミジから喰らった痛撃などもある。
あたりにはこれでもかというくらいナルガの血が飛び散っており、彼の先がもう長くないことを忍ばせていた。

事実、ナルガはハンターやシリウスらを威嚇しつつ、体を引きずるようにして逃げ始めたのだ。もしかしたら命乞いをしているのかも知れぬ。
シリウスはただ黙ってその成り行きを見ていた。王者が敗者にかけてやる、最後の情けのようだった。
ナルガはハンターらが追いかけてこないと悟ると、背を向けて這いずりながら逃げていった。憐憫どころか、罪悪感さえそそるような背中だった。

しかし問題は背中のブツである。流石にあれをくれてやる訳にはいくまい。それに、巣に帰ったところであれはもう助かるまい。
せめて最後は楽にしてやろうと、ハンターはシビレ罠を取り出す。これにかけて麻酔で眠らせたところでとどめを刺せば、苦しまずに逝けるだろう。

ナルガが寝た頃を見計らって彼らが血の跡を頼りにその巣に辿り着くと、それは渓流の古い巨樹の上でひっそりと息絶えていた。

 

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