天狼星  4

朝方、何だか嫌な夢を見たような寝苦しさに、彼は目を覚ました。窓の外を見やればまだ薄明るい。陽が完全に上りきっていないところを見ると早朝も早朝だろう。何でこんなにも寝苦しいのか。まるで、金縛りにもあっているようだ。胸から腹の上にかけて鉛でも乗っているような……腹の上?

 「うおっ」

そーっと目線を逸らし、彼の瞳が捉えたものは彼の腹を枕にして寝ている子ジンオウガの姿だった。足を怪我しているというのに、いつの間にベッドの上へとあがってきたのだろう。
相変わらず彼は気持ちよさそうに寝ているが、丁度鳩尾のあたりにのしかかっているため、ハンターにとっては苦しい以外の何者でもない。おまけに未熟とはいえ、例のあの二本の角が腹の上に乗っかっている。……もしかしてこれって、凄く危ないんじゃないだろうか。今日から寝るときも鎖帷子か何かを装備しなければならないのだろうか。

そしてあたりに漂う、何か不穏な臭い。
やや体を起こし、彼は部屋の中をチェックしてみる。

 「う、うおぉぉぉぉ……」

それを見つけた瞬間、彼はとてつもないショックに襲われ己が不甲斐なさと無知を呪った。
犯人は、戸口の敷物の上にいた。

昨日あれだけ食べたのだ。生き物は食べたら出す。これは自然の摂理だった。

彼の絶望が体を成した悲鳴に、子ジンオウガも目を覚ました。

 「あおン?」

 「あぁ、おはよう。もう元気だね」

彼はまたもや泣きたい気持ちでいっぱいだった。これからどうしたらいいのかさえ分からない。一番大事なところを見落としていた。

彼が洗濯を終え、川から戻ってくるとオトモが朝食の支度を終えたところだった。子ジンオウガにはまた例の肉が出されている。量は昨日よりやや少ないくらいか。

 「何か変わったことはなかったか?」

敷物を干しながら彼はオトモに尋ねる。
そういえば大は見たけれども小の形跡がない。昨日あれだけ肉中の水分をとったのだし、それに夜に置いてやった水入れの中身も減っている。恐らく、夜中に起きて飲んだのに違いない。
と、なれば心配なのはただ一つだ。そのサインを見逃せばまたもや室内が大惨事になる。

オトモはやや真剣な顔つきになって、

 「旦那さん、こいつ思ったよりも大分頭が良いみたいニャ」

 「どういうことだ?」

 「さっき旦那さんが出ていった後、クンクン鳴きながら室内を周り始めたんで、試しに外に出してみたのニャ。そうしたら裏手の草むらのところでちゃーんとおしっこしたのニャ。多分、旦那さんがアレ見てショック受けたのが分かったんだと思うのニャ。ちなみに消臭玉使ったから大丈夫ニャよ」

ハンターは感心すると共に安堵のために脱力した。良かった、これでどうにかなる、と。
どうせなら農場で活用してもらうのも手かも知れない。

見れば子ジンオウガはばつの悪そうな顔をしている。
あのハンターのこの世の終わりのような悲鳴を聞いて、さぞびっくりしたことだろう。
ハンターがよしよしと頭を撫でてやるとこころなしか、その表情が明るくなったように感じられた。



朝食後、彼は再びハンターのベッドによじ登ると眠り始めた。どうやら一晩にして寝心地の良いところを見つけだすとは、本当に頭が良いみたいだ。
ここで分かったのはどうやら彼は痛くない方の足を主軸にして、両手の踏ん張りだけでハンターのベッドへとあがってきたということだった。大人ともなればいとも簡単に生命を屠ることが出来るその腕力に、ハンターも納得がいった。
子供の仕事は食べることと寝ることである。子ジンオウガは昼時にハンターが昼食をとるまでずっと寝ていた。一日三食になりそうなのは有り難いことである。

ハンターはしばらくの間、調合や内職など出来るだけ家から出なくて済むような仕事を斡旋してもらえるよう村長に頼み込んだ。彼女も事情をよく知っているから快く対応してくれた。

夕刻時まで、彼はギルドの方へ納品する回復薬の調合を行っていた。もしかしたら、じり貧ハンターなどはこういった仕事を主にしてるのかも知れぬと頭の片隅で考えながら、ふと部屋が暗くなってきていることに彼は気付いた。
開け放した雨戸からは西日が射し込み、ベッドの上にいるオトモと子ジンオウガを照らしている。
オトモの毛色は茜色に染まり、子ジンオウガの鱗はきらきらと白い光を反射していた。

ハンターが微笑みながら灯りをつけると、子ジンオウガがのそのそと起き始めた。どうやら夕飯の時刻らしい。



夕飯時に、彼は言った。

 「そろそろ、名前をつけてやんなきゃな」

 「名前って、このジンオウガのニャ?」

彼は頷く。

 「あと、お前のもな。今までずっと俺に名前を教えてくれないじゃないか」

 「おいらは秘密多きアイルーなのニャ」

 「だったら俺が付けてやるよ。……モミジ。この村に纏わる名前だ。良いと思わないか」

オトモは目をくりくりさせるとモミジ、モミジとその名を口の中で反芻させている。顔色を見ると悪くないのは瞭然だった。

 「ありがとうなのニャ、旦那さん」

北方の雪山出身である彼らがこの村に来なければ知らなかったその名に、モミジは感慨さえ覚えているらしかった。

 「で、おいらの名前は決まったけど、こいつの名前はどうするニャ?」

足元を見ると件の人がこちらを見ている。どうやら足りなかったらしい。
彼は試しに残った白米に味噌汁をかけて差し出してみた。ジンオウガはその臭いをかぐと嬉しそうに食べ始めた。もはや竜ではなくわんわんぉである。

 「……シリウス」

それを見つめながら、ぼそりと彼が呟きをこぼす。

 「こいつを見たときから、これしかないかなって思った」

 「やっぱり旦那さんは最初から飼う気満々だったのニャね〜」

ハンターは気まずそうに頬を書くと、ジンオウガに向かってシリウス、と呼びかけた。彼は音の刺激にお?と首をもたげた。

 「お前は今日からシリウスだからな」

理解しているのかしていないのか、彼はしばらく不思議そうな目でハンターを見つめていたが、やがてまた猫ご飯を美味しそうに食べ始めた。

 

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