天狼星  15 エピローグ


それからのユクモ村は大忙しだった。
なんせシリウスの再来、しかもダブルでだということで、またお客さんで溢れ返ってしまっているのだ。
あれから二匹のジンオウガは親に倣って星座にあやかり、それぞれベテルギウスとプロキオンと名付けられた。ベテルギウスが雄でプロキオンが雌だが、まぁ割とどうでも良い。
本当は雄と雌と言うことだし、ベガとアルタイルという名を付けようと言う案もあったらしいのだが、どうせなら親子揃って一緒にいられるようにしようと、この名前になったらしい。母親には村長からアルデバランという名が与えられた。

最初嫌々、というかこうしなければ我々は生きていけないのだという感じで義務的に様々な芸を覚え披露していったこの二匹も、ユクモ村の住人が本当に家族のように暖かく扱ってくれるうちに心を開いたらしく、今やすっかりシリウスのようなじんわんおになってしまっていた。
ユクモ村にまた、いつものような平和と活気が戻ってきていた。何もかも、それで良かったのだ。


だのに―――。










こんな昔のことを突然思い出すなんてどうにかしてる、と彼は頭をかぶった。
考えごとの為に止めていた手を動かし、風の音に負けないよう小さな槌を振るう。嵐は昨日よりもまた一段と強まっていた。

原因は分かっている。それもこれも、ギルドからあの龍が現れたと聞いてからだ。
村人を脅かしてはいけないからと、まだその詳細がハッキリと伝わってきてはいないが、このままではそのうちこの村にも避難勧告がくるだろう。その規模は、数十年前のあれとは比較にならないくらい大きいというのだから、恐ろしさを通り越してもはや何といっていいのか分からない。想像すらつかないのだ。
きっとこの村も、渓流に点在するかつて存在した村の廃墟のようになるのだろう。



―――アマツマガツチ。



嗚呼、この龍の名を再び聞くことになろうとは。

数十年前のあの日、そう、あれは確かベテルギウスとプロキオンが霊峰に帰る直前だったから、彼らを拾ってから丁度5年目だったか。
主人に赤紙が届いた。いや、きっと主人から請願したに違いない。

主人はその前日に、自分にこれを渡してこう言ったのだ。その日も風の強い晩だった。

『急用が出来たんで出かけてくる。これを預かっといてくれ。店番を、よろしく頼むな』

いつもの、笑顔で。

そして妻と出かけたきり、二度と戻ってはこなかった―――。



後でギルドから聞いた。
あの大嵐は、モンスターの仕業だったと。ドボルベルクを殺し、アルデバランをも薙払ったその龍、アマツマガツチが再び渓流に近づいて来ているのだと。シリウスや、その親たるジンオウガが渓流の方に姿を現し始めたのも、全てはあれから避難するためだったのだと―――。
そして主人らはその侵攻を食い止めようとして、飛行船に乗って霊峰へと向かっていったが、それが墜落して乗員全員の行方が分からなくなってしまった―――。
しかし運が良かったのか、はたまた何が起こったのかアマツマガツチはこの地から去り、村は平穏なままだったこと。ベテルギウスもプロキオンも、後に無事に霊峰に帰れたこと。
きっと、何か大きなものに主人が立ち向かうのだとは薄々気付いていた。今まで自分にこれを預けたことは、一度もなかったのだから―――。

モミジィは懐からあるものを取りだそうとして、それがないことに気がついた。

そうだ、昨日彼に渡してしまったのだ。


最初は、本当にただのひよっこだった。

だがいつからだろうか。彼に自分の主人の面影を見いだしていたのは。きっと、あのジンオウガを倒したときからだろう。

霊峰にアマツマガツチが巣くってしまった所為で、渓流でジンオウガを目撃する機会が増えていたのだ。その中でも縄張りが村に近く、攻撃的な個体がギルドの方で狩猟対象とされた。ベテルギウスやプロキオンの子孫かも知れないが、そんなことも言ってられないくらい村はまた脅かされ始めていた。村長もこれは放っておけないと判断したらしく、村付きのハンターを再びギルドから派遣してもらった。
その結果来たのがこのひよっこだ。まだ20代の後半にもいかないような、駆け出しのハンターであった。
最初ドスファンゴを狩りにいったと思ったらジンオウガにやられて戻ってきたと聞いたときはたまげたものだ。同時に不安にもなったのだ。これで逃げ出しやしないかと。こいつに村を救えるのかと。

だが、彼はその心配を余所にメキメキと腕を上げ、成長した。その時は大分自分の浅はかさを反省したものだ。自分の主人も、いや自分だってひよっこだったときはあったではないか。
彼もまた誠実で、そして心優しいハンターだった。村長との約束を必ず果たそうと必死に這いあがったのだ。最初彼を心配そうに見守っていた村長の瞳が、いつからだろうか、信頼に満ちてきていたのは。
ハンターがひよっこを卒業して風格も出始めた頃、自分は彼に完全に主人を重ねていた。仕草もよく似ていた気がする。

嗚呼、そうだそうだ。思い出した。彼がその村を悩ませていたジンオウガを狩猟してきたときにした仕草が、主人を彷彿とさせたのだ。
彼はジンオウガに手を併せて合掌していたではないか。

彼はそれからあっと言う間にハンターの中でも腕利きしかなれぬという上位ハンターに認められ、主人ですらあまり持ってこれなかった、というよりは晩年あまり狩りに赴かなかったので持ってこなかった、だが―――上位の素材をばんばん持ち込んでくるようになった。
オトモ武具の開発は進み、店は大分繁盛した。

オトモ武具店。

これこそ、主人から任された遺言そのものだった。
アマツマガツチが再び現れたとき、本当なら仇討ちに行きたいところだった。だがしかし、伝説のオトモと称されたこの自分でももはや寄る年には勝てぬ。命を賭してでもと思ったが、そこには自分よりも適任がいた。

彼なら、やってのけるだろう。
彼にオトモするあの子らも、この自分の目から見ても頼もしいものだというのが分かる。彼らなら、アマツマガツチを、あの災禍を払いのけるはずだ。
ならば、自分は彼らが目的を達成出来るよう、精一杯力を貸すだけだ。あとは主人に頼まれたこの店を命を懸けてでも護らねばならぬ。そして―――。


 「お主にこれを貸してしんぜよう」

 「じいちゃん、これ何?」

 「お守りじゃ。きっとお主の身を護ってくれよう。ただし貸すだけじゃ。ちゃんと後で返しておくれ」

 「分かった。必ず返しにくるからな」


そう言って、彼は笑って昨日旅立って行った。
今頃はアマツと死闘だろうか。それとも、もう事は済んだだろうか。
彼にあのお守りを貸して、ちゃんと返せと念を押したのには理由がある。
一つは、形見だからだ。あのリオレイアの子供達の幼皮のお守り袋はさすがに古びてほつれていたが、中のピュアクリスタルの輝きはあのときから変わっていない。そして、もう二つ入っていたのは、綺麗な緑色の丸い宝玉だった。シリウスと、その奥さんの体内から出てきたという雷狼竜の碧玉だ。シリウスのは半透明の青い玉で、奥さんのは乳緑色の翡翠の様な玉だった。
ギルドが特別にかけあってくれて、両方とも旦那さんに渡してくれたのだ。
もう一つは、絶対に帰って来て欲しいからだ。主人と同じ路を辿るのは絶対にやめて欲しい。
だが、それはないと信じている。また、あの笑顔を見られると、村の誰もが信じて待っているのだ。



風が強まりつつあったために、店を補強していたモミジィの手がふと止まった。同じように家を補強していた村人もおやという風に顔を上げた。

風が、止んだのだ。

村を覆っていた暗雲が薄れ始め、雲間からは光が射し込み始めた。一筋だった光は徐々に増え、村にもその光が舞い込んできた。
誰が最初に言ったのだろう。喜びの声が挙がった。それに続くように村人が続々と表に出てきて、村全体が歓声を挙げていた。


それはまるで、勝利を収めた王者の咆哮のようだった。


モミジィは何が起こったかを村人同様に悟り、膝をがくりとつくと喜びに咽び泣いた。



村から見ゆる神々の頂は、厳かな錦の光に包まれていた。




〜Fin〜



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