天狼星 10
「旦那さん、大丈夫ニャ!?」
ハンターが気を取り戻したのは翌日のお昼過ぎだった。
彼はあのあとすぐにモミジと、そして野生のアイルーの集落の協力によって村のギルドにまで運ばれてきたのであった。
「モミジ……」
彼は開口一番に自分のオトモを呼び、右腕で彼を抱きしめた。左腕には点滴がつながれていた。
モミジはところどころ包帯が巻かれていたが、意識は健在で、歩行に支障もないようだった。
彼が気がついたとの報告を聞き、ギルドの医師もやってくる。
「あぁ良かった、山を乗り越えたようだね。感謝しなよ。君がこうして帰ってこれたのもそのオトモと、そしてギルドマネージャーのおかげだからね」
彼は素直に頷いた。
あのときいにしえの秘薬を貰わなかったら、そしてモミジがそれを傷口に直接塗りこんでくれなかったら、自分はもうこの世にいなかっただろう。
しかしあのヘヴィボウガンの攻撃を真に受けて生きていられる大型モンスターの生命力はやはり伊達じゃないなと、彼は改めて思い知らされた。
彼は命も取り留め、後遺症もないだろうと診断されたが、当分の間は狩猟に出ることを禁止された。内蔵の一部がぐちゃぐちゃになっていたのだから、当然といえば当然だろう。
彼は暗い顔をして医師に尋ねる。
「あれから、山に入った人はいますか」
彼もおもむろに顔をしかめて、
「その話なら、彼女に聞いた方が良いだろう」
と、下がった。
彼と入れ違いに入ってきたのは何と村長だった。
彼女は彼が目を覚ましているのを見て目を見張り、そっとその右腕を握った。
「あぁ、命だけでもご無事で……本当に良かった」
ハンターはかすれた声ですみません、と謝る。
村長はその頬にそっと手を添えて、
「今は、どうぞゆっくりお休みくださいまし。麻酔が効いてらっしゃるとのことですが、お話の途中で痛み出しましたら遠慮なく言ってくださいね」
ハンターがゆっくりと頷くと村長は体勢を元に戻し、語り始めた。
血塗れのハンターが戻ってきてからギルドはてんやわんやな状態だったそうだ。彼女も明け方近くに叩き起こされ、ギルドに駆けつけたという。ハンターはまたすみませんと謝った。
「いいえ、ハンター様が気になさることはありませんのよ」
彼女とギルドはモミジから説明を受け、すぐに渓流を立ち入り禁止にしギルド職員何名かを渓流に派遣した。本来は内緒だが、丁度ギルドバードの要員の一人が滞在中だったらしい。
彼らがそこで見たのは、血の色に塗りたくられた峡谷だった。
一カ所はまさに血の海。大型モンスター一体分に及ぶであろうという凄惨な状況だったそうだ。
そして、洞窟内。
ハンターと密猟者らの血が床に壁に散り、これもまた酷い状況だったという。洞窟を出たところで大きな血溜まりが二つあり、どれもモミジの証言とぴったり一致した。
「それで、密猟者の遺体は回収されたのですか……?」
村長は沈鬱そうに目を伏せると、首を横に振った。
「なんだっ……」
ハンターも慌てて上体を起こそうとして苦痛に顔を歪めた。村長は優しく彼を戻すと、
「報告に依りますと、どこにも死体などありはしなかったそうなのです。どこもかしこも血の海が広がっているだけ……。各種武器、荷物などは回収されたそうなのですが……」
もしかしたら、とハンターは思った。
シリウスの仕業ではないのか?
現に彼はそのジンオウガをまともに見ていない。彼を識別できるのはその身に付けられたドッグタグと、そして隻眼であるという身体的特徴である。
ハンターはまだしも、モミジですらドッグタグを認識できなかったというのである。しかも洞窟内は暗く、彼が隻眼であるか否かも識別できなかったのである。
しかし彼がシリウスでなかったのならば、何故自分だけ喰われずに済んだのだろうか。
ハンターがそんなことを考えていると、村長がとあるものを差し出した。彼もそれを右手で受け取る。
「そんなっ……」
間違いなくそれは、シリウスのドッグタグの破片だった。シリウスと掘られた名前の一部が見て取れる。
やはり、昨日のあれは彼だったのか。
「やはり、シリウスに対して討伐以来が出されるのでしょうか」
ハンターが沈んだ顔でそう言うと、村長は対照的に穏やかな笑顔を見せた。
「いいえ。それには及びませんわ。今回の事件は密猟者がジンオウガに勝手に挑み、負けたということで処理がついております。おまけに彼らはうちの村のガーグァも盗んでいったらしいので、弁護の余地がありませんの。シリウスちゃんに関しましてはこれ以上村人などに被害が出ない限りは、そっとしておいても大丈夫だろうというのが私と、そしてギルドの見解でございます。さいわい、ギルドバードの方も加勢して下さいましたの。ですから、ハンター様が心配なさる必要は何もございませんのよ」
そこへ医師が薬を持ってきた。村長はもう一度ハンターをいたわると、何か聞きたいことがあったらいつでも呼んで欲しいと言い、下がっていった。
医師が点滴を差し替えると、モミジがおずおずとあるものを差し出してきた。
「ギルドマネージャーのおじいちゃんが、旦那さんに渡して欲しいってニャ」
彼がそれを受け取ると、それは小さなお守り袋だった。
どこの地で採れたのだろう。見たこともないほど見事な水晶が入っていた。
「中の石はギルドバードさんがくれたらしいのニャ。早く旦那さんが回復しますようにって。確かピュア……何とかっていうらしいニャ」
ハンターが思わず顔をしかめたのは、そのお守り袋に使われている素材だ。
それは、間違いなくあのリオレイアの子供の皮だった。
「何でも今、モンスターの子供の素材が高騰しているらしいのニャ。あの子らは今回の証拠品としてギルドの方に回収されて、どうニャるかはおいらにも分からニャいのニャ。……ただ、加工屋のおじちゃんが、一度は旦那さんが助けたあの子等の加護がありますようにと、特別に作ってくれたらしいのニャ。……何か不満かニャ、旦那さん」
モミジが顔をしかめたままの主を心配そうに覗き込んできたので、ハンターはふと穏やかな顔になってその頭をぽんぽんと撫でてやった。モミジは目を細めると自分を呼ぶ声に応え、ギルドの方へと駆けていった。
穏やかな顔つきだったハンターも、再びそのお守りに目を落とす。
なるほど、きっとこういうのを幼皮というのだろう。しなやかな肌触りだ。色も独特で、見たこともない風合いが出ている。これを欲しがる人がいるというのも頷けなくはない。
ただ、今回の種は自分が蒔いてしまったのだと思うと、やはりハンターの顔色は優れなかった。
自分はあのリオレイアを見つけたときにどうすれば良かったのだろう。きっちりハンターとして狩猟すべきだったのではないだろうか。
彼はふるふる、と首を振った。
出来る訳がない、この自分に。自分の命まで奪おうとしてきた密猟者の命を屠ることすら出来なかった自分に、出来るはずがない。
では、もっと最良の策があったのではないか。
例えば、リオレイアの巣をもっと奥地に移動させるとか、毎晩巡回要員を頼むとか―――。
終わったことを、と彼は再び首をかぶった。
今後どうすれば良いかは、ギルドや村長ときっちり話し合うべきだろう。
最近流行っていた、毒薬による密猟。しっかり対策を立てて取り締まらなければ。また村に被害を出してはいけない。
村のことを思うと、また一つ溜息が出てくる。
人を、殺してしまったのか。シリウス―――。
何よりもショックだったのがそれだった。
あの優しい子に、そこまでさせるほどの種を蒔いてしまった自分に対して嫌悪が溢れてくる。
村の慈愛と期待とを一身に背負った身に、そんなことをさせてしまった。村人の絶望も大きかろう。
「旦那さんは、何も悪くないのニャよ」
ふと隣をみれば、いつの間にかモミジが帰ってきていたらしい。
「シリウスも、渓流を守ろうとしたのニャ。どうかほめてやって欲しいのニャ」
ハンターは再び憂れいたような笑顔を見せると、モミジの頭を優しく撫で始めた。
「有難うな、モミジ」
それから半月ほどしてハンターは退院してきたが、ユクモ村と渓流に特に変わった様子はないという。
彼が山に入れるようになってから、何度かシリウスの姿を探しに行ったことはあったが、彼は一度も姿を見せることはなかった。ハンターだけではなく、村人もギルドの職員もその姿を見たことがないらしい。あれ以来ギルドバードが何回か立ち入ってるらしいのだが、ベテランである彼らの眼にさえ留まらないようだった。
何度かアプトノスなどのご飯を置いて帰ってくると、翌日か翌々日にはなくなっていたが、それも数度目にぱったりと途絶えた。
やがて渓流にはドボルベルクが巣くうようになった。これもまた巨大なモンスターで、縄張りを荒らされるのを嫌っていたが、今のところユクモ村に被害が出たという話を聞いたことはない。これもまたシリウスと同じくして、上手く共生しているらしい。
嗚呼、とハンターは思う。
きっと、このドボルベルクに全てを任せて、彼は渓流を出ていってしまったのだろうな、と。
ハンターも一度このドボルベルクに出会ったことがあった。彼は穏やかな目つきでハンターをじっと見つめていたが、やがて渓流の奥地へと姿を消していった。品定めされていたのだろうな、とは思うがきっと彼なりに人間のことを理解しているのだろう。流石は長老と呼ばれるだけのことはある。
それから数年に渡り、ユクモの地は安泰だった。
ハンターはいつの間にかベテランとして数え上げられる者のうちに入り、数名の弟子をも得て、ユクモ村はますます発展した。
訓練所が充実したのも彼と彼の弟子のおかげだ。いつぞやなんかは教官にならないかと誘われたこともあったが、色んな意味で絶対領域だからと断ったこともあった。秘密裏にギルドバードにならないかとの依頼もあったらしい。だが、彼はずっとユクモ村のハンターでいた。モミジは彼にオトモする傍らでオトモ用の武具を主人と一緒に開発・改良を重ねていった。
ハンターは時々狩猟をするでもなく、誰も伴わずにユクモの奥地へと踏み入るときがあった。
断崖絶壁から望むは、金色の光と神秘的な霧に包まれし神々の霊峰。
前人未到の領域であり、霊峰の奥地ともなるとギルドバードですら飛行船上からしか見たことがないと云う噂だ。
しかし言い伝えによれば、時折蒼き雷が降ることがあるという。それはまさに、彼のものではないか。
ギルドでは元々シリウスの親個体も霊峰の付近に棲んでいたのではないかという推測を出している。
シリウスもきっと、あそこへと帰ったのだ。あるべき場所へと、帰ったのだ。
ユクモ村は平和だ。俺もモミジもしあわせに暮らしている。
お前は今、しあわせか?
もう逢うこともないだろう我が子の様に慈しんだその感触を一人ごちながら、彼はまた坂を下って行った。