悪魔猫。 9 それから……

ついに、この村にも避難勧告が出たか――。

彼はギルドから渡された避難勧告の紙を握りしめ、険しい顔をしている。アカムトルムよりも強大なあのモンスターにかかれば、この村など一瞬で消し飛んでしまうだろう。ここよりも山奥の村では甚大な被害が出ているらしい。ギルドのハンターらが被害者の救出とモンスターの進行を食い止めにかかっているらしいのだが、それでも未だに正確な被害状況を把握できないでいるとの話だった。取りあえず、この村も危ないとなれば命からがら逃げてきた近隣の人々を先に避難させるべきか、と彼は思った。直にあれの被害にあった人からしたら、再びそれに相見えると聞いただけでもパニックものだろう。

 「あのう、すみません」

横から呼び止められ振り向くと、そこにはおぼつかない足取りの若者がいた。彼も慌てて駆け寄る。

 「君、駄目じゃないか。まだ安静にしていなければ!」

 「いいえ、もう大丈夫です」

そうは言うものの、若者は一歩を踏み出そうとしてよろめいた。身体は痛まないのかという彼の問いに、若者は笑って応えた。

 「身体はどこにも異常ありません。……只、受けたショックが大きすぎて震えが止められないんです」

彼は、かのモンスターによる被害者だった。
突如降り注いだ白き災厄に、彼は村のハンターとして立ち向かいつつ、村人を救助しようと奮迅した。
……しかし、結果は惨憺たるものだった。

彼は討伐の途中雪崩に巻き込まれ、その後運よくギルドに救出されて近隣であるこの村に担ぎ込まれたが、彼と共にモンスターに立ち向かったハンター達や、村人の半数程の安否がまだ確認されていない。この若者も数日間意識不明の状態が続いたが、先日回復したのである。さいわいなことに、五体は満足で骨折なども見られなかった。

 「聞きましたよ、ギルドから避難勧告が出されたんですね。もう、そこまで来ているんですね……ウカムルバスが」

若者の言葉に彼はううむ、と唸った。

 ウカムルバス。

突如凍土の山奥よりいでた白き魔物によって、雪山周辺の村は壊滅的な被害受けた。いや、本当に壊滅してしまった村も少なくない。
アカムトルムをも凌駕する巨躯をもち、それが巨脚を一歩踏みしめる度に大地が悲鳴を挙げ、多くの命が失われた。しかもそれは何を思ったのか、雪山の奥から人里の方へと降りてきたのだ。彼に、人間に対して明確な攻撃意志があるかは分からない。もしかしたらラオシャンロンのようにただ歩いているだけなのかも知れない。
しかしこれを放っておいたら、人間界に甚大な被害が出てしまうだろう。誰かが、あれを食い止めなければならない。それが今、人間に突きつけられた大きな課題だった。

 「村のハンターさんのお家はどちらでしょうか」

 「あぁ、あちらだが」

何かしら強いものが秘められたその語気にたじろぎながらも、彼は坂の上の一軒家を指差した。
若者はお礼を言うとそちらに歩き出そうとしたが、やはり少々辛そうである。彼は道案内も兼ねて若者に付き添うことにした。ウカムルバスやこの村のことなど、世間の話題を交えながら坂を登っているとき、若者がぽつりと尋ねた。

 「そう言えば、ギルドの集会所の前にあったあれは何なのですか?」

 「あぁ、あれか」

若者に付き添っている彼の銀の瞳が、穏やかに笑った。
この村のギルドの集会所の前には、立派な彫像が立っていた。何の鉱石で作られたのだろうか、黒色の立派な鋼で出来た彫像で、どうやらアイルー族を模しているらしかった。他の村では見られない光景に彼も疑問を持ったのだろう。元々この辺に住んでいたのはアイルー族ということを聞いたもあり、何か関係しているのだろうか。

 「あれは、この村を護ってくれた英雄さ。死んじゃったんだけどね。それで、村長さんが加工屋さんに掛け合って作ってくれたんだ」

 「そうだったんですか」

 「とても強いオトモイアルー……いや、メラルーだったか。恵まれない半生を送っていたが、この村に来てからはしあわせだったと思うよ」

そんな話をしているうちに、二人はハンターの家の前に辿りついた。若者をやや後ろに待機させ、今日彼女はいるだろうかと彼がノックをした瞬間、返事とばかりに急にその扉がバーンと勢いよく放たれた。勿論彼は吹っ飛ばされた。
そしてその彼に追い打ちをかけるかのように二人の男が彼に向って倒れこんでくる。ぐえ、と喉の奥から変な声が出た。一体何が起こったのかを把握する前に、その声は彼の耳に飛び込んできた。

 「旦那さんを口説こうなんて、百万年早いニャ!」

 「そうニャ!脱皮してから来やがれってんだこのヤロー!」

その声を聞いて彼に倒れこんできた二人の男は情けない声を上げて逃げて行った。
彼が立ちあがろうとすると、奥から困惑したような女の人の声が聞こえてくる。

 「ちょっと! ラフィエル、セバスチャン、やりすぎでしょ!アーノルド、ベルベット何で止めてくれなかったのよ!しかも決め台詞意味不明だし!」

戸口に現われた彼女はそう言って目の前にいるアイルー二匹を窘めた。奥にいるのは先程呼ばれたアーノルドとベルベットか。両方とも意味ありげにニヤニヤと笑っている。どうやら先程の男共をぶっ飛ばしたのはラフィエルとセバスチャンらしい。また無茶やりやがって。
彼らは一転して甘えるような声になって、

 「だってだって旦那さんが〜」

 「ねぇ変なことされなかった?旦那さん大丈夫?」

と彼女に縋りついている。
彼が苦笑しながら立ちあがると、水色の羽織を着たアイルーが彼女の太股を煙管で叩いてから、それで彼の方を指した。

 「お、おやっさん!?すみません、大丈夫ですか!?」

ハンターは急いでおやっさんの方に駆け寄った。さっき鬼気迫る勢いで男共を吹っ飛ばしたラフィエルとセバスチャンも、甘えた様な声になって彼の方へ駆け寄ってくる。

 「おやっさん巻きこんでごめんなのニャ」

 「でもおやっさんは根が丈夫だから大丈夫なのニャ」

おやっさんは笑顔でアイルー達の頭を撫でてやると、例の若者をハンターに紹介した。どうやら彼は被害に巻き込まれなかったらしい。

 「あぁ、上の村の! 良かった、意識が回復したんですね」

 「はじめまして、貴女方が採ってきてくれた雪山草のおかげでここまでになりました」

そう言って手を差し出してくる若者の手をハンターは握り返した。ウカムルバスに挑むというこの村のハンターが女性であることは先程の村人から聞いていたが、彼女は若者の予想に反してハンターらしくなかった。なるほど、確かに口説かれてもおかしくない様な容姿である。これが単身アカムトルムを屠ってきた人だとは信じがたいが、しかし彼の手を握る腕っ節は思ったよりも強く、その掌も只の女性のものではない。

 「今日は痴漢にドロボーに、散々な日やな」

と、脇のアイルーが煙管をふかすと彼女は苦笑した。

 「取りあえず、二人にお茶をお出しして」

と彼女が指示するとキッチンアイルー達も引っ込もうとした。しかし若者はそれを遮って、

 「いいえ、あの……僕も同行させて頂けないでしょうか」

引っ込もうとしたアイルー達も興味深い顔をしている。おやっさんの顔が急に険しくなった。

 「同行ってクエスト、ですよね?」

 「はい。僕の腕は、単身強大なモンスター達に立ち向かえる貴女程ではないかも知れませんが、一度仲間と共にウカムルバスに挑み、奴の動きを間近でこの眼で見ています。きっと、お役にたてることがあるかと思います。……お願いです、あいつらの仇を……俺らの村を、救ってください!」

そこまで言って彼は唇を噛んで俯いた。無念さが表れているようだ。流石にここまで言われると引けたもんじゃない。彼女は少々戸惑ったが、彼をパーティに加えることにした。おやっさんは回復してから日が浅いとのことで良い顔をしなかったが、彼女の判断を尊重することにした。
彼女はすぐにキッチンアイルー達に食事の準備をするように指示すると、若者を食卓に誘った。遠慮する彼に、

 「ハンターに必要なのはガッツよ。絶対に勝って、帰ってくると云うね」

と、笑った。
 

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