悪魔猫。 8 外伝 アーノルドの話

身に覚えのない暖かい感触に彼女はハッと目覚めた。いつの間にか眠ってしまったようだがちゃんと毛布がかけられている。アーノルドとブレイクがやってくれたのだろうか。
そっと窓を開けてみると月が西に傾いている。明方よりもやや手前と言った刻だろう。毛布の中に柔らかい感触がするので確かめてみると、その柄はアメショーだった。
アーノルドがいない。台所にいるのだろうか。
ハンターがベッドを下りようとしたとき、件のその猫は外から帰ってきた。手に何かを抱えて。

 「アーノルド、どこへ行ってたの?」

彼はその何かをセナの棺に入れてやると、

 「外に干してあったマタタビを取って来てやったんよ。台所に干しとくと、こいつが仕事しないんでね」

ハンターが覗きこんでみると、丸くなって寝ているセナの手の辺りにマタタビの実がごろごろと置かれていた。まるでマタタビを抱えて満足そうに眠っているようだ。

 「俺の姉御も、マタタビが好きだったなぁ……ほんま、良く似ちょる」

 「初耳ね。お姉さんも、この村にいるの?」

 「姉御はな、俺がまだ小さい時に死んだ」

ハンターは瞬間、しまったと息をのんだがアーノルドは別に良い、と笑った。彼はマタタビ煙管をふかしながら、セナを優しい目で見つめている。

 「俺はな、旦那さんに感謝してるんやで」

 「アーノルド、何を急に……?」

彼は優しい目をしたまま、顔を挙げる。その眼は遠い昔の何かを思い出そうとしているかのようだ。

 「絶望のどん底にあった俺を救ってくれたことも、こいつらに会えたことも――、みんな、みんな感謝している」

 そこで彼はゆるゆると煙を吐き出し、ぽつりと言った。

 「俺の姉御もな、ゼノやったんや」

ハンターとアーノルドの間にしばし沈黙が流れた。アーノルドは彼女の様子を伺う様にこちらを見ている。

 「だから……」

しばらくして喉に引っ掛かった痰を飲み込み、彼女はようやっと言いきった。

 「だからセナが"ゼノ"だって、すぐに分かったのね」

アーノルドは只頷いた。

 「姉御もこいつと同じで、本当に優しい奴だった。俺の集落ではな、"ゼノ"だと分かると生まれてすぐに殺されてたんや。姉御はそこらへんの奴と大して変わらなかったし、ずっと後までばれなかった。……飛竜から俺を護ろうとして、それをズタズタに引き裂くまでは」

過去を語り始めたアーノルドの声のトーンは、やや低くなっていた。ハンターはじっと彼の話に耳を傾けている。

 「姉御が"ゼノ"だと分かった途端、俺らは集落を追い出されたんや。命までは取られなかったが、行く宛てなんて勿論ないし過酷な環境の旅を続ける中で二人とも弱っていってしまった。猫婆の存在をもっと早くに知っていればと思う。姉御は雪山の峠を越えられなくて、そこで果てた」

アーノルドは煙をふーっと吐いてぼんやりと上を見つめた。ハンターには彼にかけてやる言葉がない。しばらくの後にアーノルドは再び続ける。

 「本当は、まだ小さかった俺もそこで一緒に死ぬはずやった。ところが、たまたま通りかかったハンターが俺らを拾い上げてくれたんや。……それが、前の旦那さんだった」

アーノルドの頬がふっと緩む。遠くできらきらと光っている、懐かしい思い出を見つけたのだろう。

 「俺が助かったのは、姉御がしっかりと俺を抱いてくれていたからだと、そう教えて貰った。旦那さんは行く宛てもなく、かといって特別何かに秀でているわけでもない俺を雇ってくれたし、姉御の墓もその村に作ってくれた。俺にとっての初めてのホームだったな。俺は必死やった。命の恩人に必ず報いようと。キッチンの腕もその当時のリーダーに認められまで磨き、クエストにも何回か同行した。旦那さんには悪いが、前の旦那さんは結構名うてのハンターだったんやで。向かうところ敵なし、といった具合で色々な依頼をこなしていたんや」

 そこまで言うと、アーノルドは煙管をことりと傍らに置き、顔に陰を落とした。

 「忘れもしないその相手は、空の王者リオレウスや。旦那さんなら今回も楽勝やろうと、気を抜いた俺が馬鹿だった。次の瞬間には、ワールドツアーから帰ってきたリオレウスが俺の目の前に迫っていた。旦那さんは……」

アーノルドは俯いたまま歯ぎしりしている。その隙間から悔恨の念が滲み出ているようだ。

 「武器も持たずに、俺を突き飛ばした。その瞬間の顔は、今でも覚えている。――旦那さんは、こっちを見て笑っていたんや」

そこでまたアーノルドはふと顔を挙げた。彼は泣いてはいなかったが、しかしその顔色には救いようのない痛みが表れている。

 「俺はリオレウスの風圧で吹っ飛ばされ、その拍子に何かに頭を強くぶつけた。この眼は多分その時にやっちまったんだと思う。気を失う瞬間に俺の片目が捉えたのは……、血塗れで転がっている旦那さんの姿やった。――それ以来、旦那さんは戻ってきていない」

思わずハンターは息をのんだ。想像すると胃の辺りがキリキリするようである。

 「相手はリオレウス、しかも遺体すら見つからないとなると、考えられるのはまぁ一つだわな。奴らの巣も近くにあったしな」

あまりにも凄惨な過去である。
だが実際に相手が肉食竜だった場合、ハンターの遺体が一部ですら見つからないことは多々あることだった。相手が肉食竜でなくとも、炎に焼かれたり、溶岩に落ちたり、雪山のクレバスに落ちたり――。アーノルドだけでなく、ハンターの側で働くアイルー達の多くが一生に一度は経験しているだろう。

 「俺は、大好きな人を誰も助けることが出来なかった。命の恩人を俺の過失で死なせてしまった――。俺だけが生きてると言う事実が辛くて、もう死のうかとも思った。実際にその時に一緒に働いていたアイルー達が猫婆の元へ俺を連れて行ってくれなかったら、今頃どこかでひっそりと死んでいたかも知れん。だけど、今の旦那さんにここに連れてこられたんや」

アーノルドは眼を細めてハンターを見やる。嬉しそうに二、三回瞬きをすると、

 「最初、もの凄く扱いにくい猫だと思ったやろ?ごめんな、旦那さん。でも、ハンターは常に死と隣り合わせの仕事や。いつまた目の前から消えてしまうかも分からんのに、感情移入なんかしたらまた辛い想いをしなきゃアカン。それはもう、嫌やったんや……」

アーノルドは眼の端を擦り、ハンターは只頷いた。

 「でもな、やっぱり誰かの側にいて、こうして日々を過ごすことがしあわせであることは、否定出来なかった。だから、旦那さんに会えて本当に良かった」

こんな扱いにくい奴を見捨てないでくれたもんな、とアーノルドは再び煙管を手に取り、マタタビを詰め替えて火を付ける。

 「セナも、そうだったと思う。どんなに不遇な過去があったとしても、こいつは、確かにここではしあわせだった。それに、旦那さんのこと……大好きだったと思う」

ハンターの身体がぴくりと動き、その眼に再び透明な珠が浮かんだ。アーノルドは純粋な瞳で主を見つめている。

 「アーノルド、私は……」

言いかけて彼女の瞳からぽろぽろと涙が零れ落ちる。言おうとした言葉も涙とともに落ちてしまい、紡ぐことが出来ない。必死になって嗚咽を堪えている主人にアーノルドは穏やかに笑うと、

 「旦那さんは気付いてないかもしれないが、それがあんさんの強みなんや。旦那さんが俺らを信頼してくれて、大好きでいてくれたからこそセナも旦那さんのことが大好きだったし、この村のことも好きになれたんや。それこそ、命を賭けてでも護らねばと思うくらいに。そこに潜っておる、ブレイクもきっとそうやろ」

そう言えば今日クシャルダオラと対峙していた時、一時ピンチに陥りかけたハンターを助けたのがブレイクだった。いつもは臆病な性格故にすぐに逃げ出すのだが、ハンターの窮地とみるや、クシャルダオラに真っ向から向かって行ったのだ。彼が気を惹いてくれたおかげでハンターは態勢を整え直すことが出来たのだった。

 「オトモだから、使命だから――それだけじゃないんや。俺らだって、付いていくべき人をちゃんと見極めている。俺はこいつの代わりに最後まで旦那さんに付いていく。だから、旦那さん……」

ハンターの視界はぼやけにぼやけ、最早アーノルドの決意がこもった瞳を直視するのも能なかった。それでも彼女はアーノルドの言葉を聞き逃すまいと、両手をぎゅっと握りしめて彼を見つめている。

 「絶対に、死なないでくれな。ちゃんと、帰ってきてくれな。俺らには、旦那さんしかいないんや……」

その瞬間、ハンターは再び肩を震わせて泣き崩れた。アーノルドは彼女から目を逸らさずに、

 「最後に、もう一回抱っこしてあげてな……」

と言うと、満足そうに目を瞑った。


その日満月は決して曇ることはなく、金色の光はずっと彼らを包んでいた。


 

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