悪魔猫。 5
今日は昼の吹雪がおさまってからはずっと天気は小康状態だった。山の上の方は先程まで荒れてて真っ白で何も見えなかったが、今はやや落ち着いてきている。麓の方もしばらく大丈夫そうだ。
しかし雪山に住んでいる生き物は大変だな、と彼は薪を拾いながらひとりごちた。傍らでは娘が放してあるポポの面倒を見ている。久々に外に出されたからか、ポポものんびりとしている。村長からは遠くへ行ってはいけないと言われたが、こんな村の近くまで飛竜、いや、肉食竜ですら来たりはしないだろうと彼は楽観視していた。あの臭いを嗅ぐまでは。
不意に彼の鼻をついた、生臭い臭い。最初はポポが糞でもしたのかと思ったが、嗅ぎ慣れたその臭いとも違う。
何か見慣れないものが視界に映ったような気がして、彼は崖の上を見渡してみた。
と、その途端彼は腰を抜かさんばかりに驚き、次の瞬間には娘を抱えて走り出した。
彼の叫び声に刺激されたのだろうか、それはポポよりもまず彼らを狙ってきた。腹を空かしたそれの突進に人間が敵うはずもなく、もう駄目だと悟った彼がせめてと娘を放り投げたその瞬間、それは彼の横を通り抜けて行った。
――娘が、喰われる!
やはり本能的に美味しいものが分かるのだろうか。それは、今まさに彼の娘に飛びかかろうとしていた。
やめてくれ――!
絶望の底から響く彼の悲鳴に、もう一つの悲鳴がかぶさった。
しかし、それは彼の娘の声ではなかった。
娘は雪の上にどさりと着地し、泣き喚いているが命に別条はない。ところが今目の前にいるそれは、頭からだらだらと血を流しているではないか。
そして、それに相対する一匹の黒い猫――。
猫はおしりをぺんぺんと叩くと村とは反対の方へと逃げていった。
それは怒りと屈辱に雄叫びを挙げ、頭の傷口からは血が噴き出した。しかしそれはそんなことには眼もくれず、興奮で真っ赤に染まった前足を繰り猫を追いかけていった。
村人は娘を再び抱きかかえると一目散に村へと駆けだした。
激闘の末に何とかクシャルダオラを追い払い、彼によって吹き飛ばされた隣村のハンターを救いだして彼女が村に戻ってきたのは、陽がちょっと傾いている夕刻時だった。
クシャルダオラを追い払ったからだろうか、村の天気が回復していることに彼女は安堵のため息をついた。これも、あの子らが作ってくれた料理のおかげかもしれない。帰ったらうんと褒めてあげなくちゃ。満足げな顔をして彼女が村に帰ってくると、その姿を認めた村人が尋常じゃない様子で彼女に駆け寄ってきた。
「ハ、ハンターさん!
大変です、飛竜が……飛竜が……!」
「なんですって!?」
つい先日、おやっさんから言われたことが脳裏を横切る。彼女は村人がわなわなと震える指で示す方向へと、全力で駆けだした。
飛竜はギルド集会所の方面に出たらしい。そこにはおやっさん、そして集会所に通っているこの村のへっぽこハンターが武装して控えている。村長やネコートさんも側におり、どうやらこの村自体が襲撃されたわけではないらしい。
彼らが囲んでいるのは見たところ村人の父娘であり、ハンターはその側に見慣れたものがいるのに気が付いた。
「アーノルド!どうしてあんたがそこに?」
ハンターがそう声をかけると、珍しくアーノルドは困惑しきった声で、
「旦那さん、セナが、セナが……!」
と彼女の鎧の裾をつかんで何かを必死に訴えかけている。
どうしたのよ、落ち着きなさいと彼女がアーノルドを慰めているところへ、どうやら村長に事情を話しているらしい父親の話が聞こえてきた。
自分たちが襲われていたところに現れた黒猫が、気を惹いて身代わりになってくれたのだと――。
ハンターはそれを聞いた瞬間、装備も整えずに脱兎のごとく駆けだした。